人は生きてきたようにしか生きられない – 2025年10月10日
2025-10-10
人に徳を積んで喜びを味わってきた方。
逆に人を苦しめ押さえつけてきた方。
前者は常に日ごろからそのような心で楽しんで生きてこられたのです。
そこに損徳は考えていません。
後者はどうでしょうか?
只々、自分中心で心が休まる日はあるのでしょうか?
例えば、人を叱るのも自分の感情だけで言葉を出してはいないでしょうか?
叱った後は果たして気分が良かったのでしょうか?
私が思うに、心は晴れていないと思います。
人生100年と言いますが、心の持ち方や捉え方は高らかに行きましょう。
副神教 勝又 真樹子
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