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人生の生き方とは (ぼたん 2018年供養祭より)

2018年09月27日

人は人様が幸福になる言葉以外は出さなくてよい。
本当の自分らしさを出し、正直にありのままに生きる事が幸福な人生と言えよう。
自分をよく見せたり、ただ相手の方に沿って歩んだりするのではなく、
わが身を顧みず世の人々の為に尽くしきってる姿こそ、幸福な人間と言えよう。

私達は宇宙の神様から宿題を頂いてこの世に生まれて来たのです。
そして無条件で感謝感謝の日々を送るのです。
もし、自分が道に迷ったら、まず原点に返る事です。
そのようにしないと一生迷い道にはまり込んでしまいます。
人の姿を見て自分に置き換えよう、そうしたらどこで迷ったのか知ることが出来るのです。

自分が間違ってる事はしっかりと反省し二度と過ちを犯さない心こそ、
自分が救われる道となるのです。
そしたら次は実行です。
汗で泥まみれになり、実行している姿です。
例え失敗に終わったとしても貴重な体験は必ず残ります。

その裏で失敗した人を批判する人は、汗や涙もなく、泥まみれでもなく、実行もなく、
楽な立場に立ってもその御霊を掴む事は出来ないでしょう。
神、仏、人の道が分かる人は神界に守られ、霊界からもその人自身がとても眩しく
光って見えるそうです。これは霊界の人々の声です。

本当に自分が救われたかったらならば、自分の中にある「良心」に目覚める事です。
「心」という文字に対しては本当の先生、指導者は自分自身なのです。  

大神教 勝又 ふじ子

(2018年供養祭「ぼたん」から抜粋) 

神様が実在しているのに哀れな信心 (ぼたん 2018年奇蹟感謝祭より)

2018年07月19日

自分中心に物事を考えてはいけません。
何故かというと、相手の心に入っての考えでなければ、どなたと話ても心が通じ合う事は
出来ないからです。

また、子供達にも親の心を押しつけてはいけません。
子供の心をよく見抜いて一人一人の個性を活かしてあげ、希望を持たせて自信を持つ心を
育てる事が大切だと思うのです。
天より預かった子供を親の権限で育ててはいけません。

夫を救うことも出来ず、子供に淋しい思いをさせているお母さんの姿を、
子供達は見通しています。
一軒の家の運命を変えるにはお母さんの御霊で変わってしまうのです。

大神教を中心にしないで家が栄える筈がございません。
大神教を通さずして道が開く訳がありません。
また、家の中で大神教の教えを説かない人に、幸福など訪れません。
ただ、因縁が残るだけです。

また、親だけしか来ていない家庭はご先祖さまもどんなにか苦しんでいられる事か。
何故かと申せば、霊界では時々私達に「子供の姿が苦しい」と訴えてくるからです。

立前で縋り、欲得で縋った信者は必ず最後には刈り取らせると、天は申しております。
犯した罪は霊界に通信されているのですよ。

大神教 勝又 ふじ子

ぼたん – 2018年元旦祭

2018年02月08日

毎年元旦を迎え、今年こそ家族が良くなりますようにと願うのは誰しも考える事です。
幸福になりたいと思うなら、周りの人に皇神会のお話を嘘偽りなく話す事です。
これは皇神会の中だけで通じる話ではなく、世の中の人々にも通じる事なのです。
自分も神の子であり、皆さんのお友達もまた神の子であるのです。
その人たちに真実の話が出来ないという事は我欲で縋っていることに繋がります。

よく考えてみて下さい。
皆さんが世の人々の心理が掴めず、神学を学んでいるからと頭で話しては
嘘を言ってる事になるのです。
あるがままに自分の体験談を正直に話せばよいのです。
神様とご先祖様が動いてくれるには素直に話さないと価値がないのです。

今年は神様に御霊の徳積みを貯金する年です。
皆さん神様にお返しが出来ていませんよね。
己が神様を利用してきた罪が自分に返ってくるのです。
人様のお役に立とうと努力している人はいつの間にかその徳積みが
自分に返ってくるようになっているのです。

出会いの深き、縁の深さは計り知れない物です。感謝ですね。

               大神教  勝又 ふじ子

ぼたん – 2017年供養祭 (霊界の仕組み)

2017年10月19日

私達は亡くなったらまず幽界に入り、それから精霊界に入ります。
そして、生前その方がどのような人生を歩んできたのかを問われ裁判されます。
それが調度、49日にあたります。
徳積みがどの位あったのかという裁判でもあります。
人様に喜ぶ行いをしてきたか、嘘偽りなく生きてきたのか。

天は言います。
信心は童心でしなさい。
心に色をつけてはいけないのです。
御仏を信じる者は運命が強いから信じられるのです。
大神教の言葉を信じずに人の間違った言葉を信じてしまうと
天も霊界も動かないのです。
それでは自分の御霊を置くところが無くなるのではないでしょうか。
それでは縋り方をあやまっている状態です。
信心とは神様(大神教)対自分なのです。

(2017年供養祭「ぼたん」より一部抜粋)

ぼたん – 2017年元旦祭 (天界の法則とは)

2017年01月21日

今年は一白水星の年ですね。

水は流れるもの。
悪の建前の言葉に流されたら刈り取らなければならない。
そうしなければ人々を乱したり自分に悪霊が憑いてしまうからです。

そして、人々を愛するという事は相手を活かす事でもあります。
正しい言葉が出てる人。
偽りなく善悪をわきまえている人。
心の底から人々を愛することか出来る人。
この方々は人生を楽しんでいられる方々なので、あまり苦しみはなく
いつも前向きに生きていられるのです。

そして自身の心の中にこそ真の指針の心の指導者がいるのです。
ですから決して人を頼ってはいけません。
頼ると正しい言葉は出ないのです。
その人の奴隷になるだけです。
自分の事は自身が解決していくのが真実の人生なのです。

大神教 勝又ふじ子

人が歩む道とは (ぼたん第六号より)

2016年12月23日

1番大切な事は、考え方や生き方、正しい御霊、正しい心
をいつも外さずに、本当の自分で生きる事が大切なのです。

私は最初から嘘偽りなく本音で説いたので、一人一人の御霊の位が
神様に通じたのです。
一体とならなかったら、信者方々の道も開かなかったと思います。
天界そのものが嘘偽りがないところだからです。

その大切さを是非皆さんに知って欲しいと思います。

大神教 勝又ふじ子

(ぼたん第六号より抜粋)

ぼたん – 2016年供養祭 (霊界の掟)

2016年10月02日

人間がこの世に人として命を授かる宇宙の摂理から申すと、
一時的な旅路にすぎません。
この世を去った時は、この世と別れを告げ、肉体を捨て、意識体生命として
霊界で生きることになります。
意識体は何万年と歩まなければならず、霊界に入ると生前中の経歴や
特に人助けや社会奉仕をした者はこの世で幸せになれる道を
自分で作れる御霊となっているのです。

この世では本音で生きる人、善悪や嘘偽りのない人、真実の愛がある人、
正しい言葉が出せる人など・・・
どんな人でも一人の人間として救える人は宇宙の神々にも通じる方々なのです。
自分の事しか考えられない人はとても暗い人生を送っています。
自ら徳積みをしないと運命の貯金がないので、
淋しい人生になってしまいます。
心を正さずに天から頂く事ばかりしか考えない人、
それは、もはや我欲の心信でしかありません。

ですから神様の本音の御使いと実在と楽しさを、自分が話すことで運命を強くする・・・
そこから自身の価値が見出されてくるのです。

大神教 勝又ふじ子

ぼたん – 2016年神降臨祭 (本音で生きる幸せ)

2016年06月04日

38周年おめでとうございます。

真実の姿を神様はみているものです。
本当の自分で生きる人の姿とは、

1、嘘偽りがない
2、本当の自分をもって生きている
3、善悪が分かる
4、人の情に振り回されない
5、人との悪の横線の群れを作らない
6、自分より魂の低い人に近寄らない

人の上に立たれているひとは、一人で行動に移し人にたよらず自分を持ってるので
人の上に立つ事が出来る。
また目上の言う事を素直に聞く事が出来るので、間違いのない人生を送る事が出来るし、
またその人も人の上に立つ事が出来るのです。
ですから職場のトップに立たれてる方は皆本音で生きておられるので
毎日が学びの場にしているので御霊が上がるのです。

信心もまたそうです。
何でも前向きに捉える事が出来る人は、運命も良くなってくるのです。
信心とは、信じる心があって初めて、神様、霊界の方々が応援して下さるのです。
人の姿が見えない人は、本音で生きてないから不安だったり、怖かったりするのです。
悩みが多くなって頭を使って損得で信心する人で幸せになった人は一人もいません。
           
    神降臨祭 「ぼたん」から一部抜粋  勝又 ふじ子

大宇宙の心とは

2016年04月15日

人間はこの宇宙の中で神様よりこの世に誕生させて頂いた意味は
人の為になる仕事を与えられたのである。

この世にやることがあって生まれてきたのに、神様を知識でいくら知ろうとも
只知識だけでは何の力にもならない。

何でも実践を通して善悪、真実の心、嘘偽りなく、親心で神様に恥じる事無く、
御先祖様を安心させたり、何時どこにいても真実の話が出来る人は良い人生を送ってる筈です。

そして神の子は見えない世界を素直に信じ切った時に神様は降りるので、奇跡が起き、
実在を持って教えて下さるその時、神様は生きていた事が分かるのです。

そしてその意識は拡大していくでしょう。

ですから、神様を頭で理解したら理屈理論になり、淋しい魂となってしまうのです。
「理の中に御霊あらず」です。

また、自分を大切にするには、自分を中心とせずに人様を生かす心から生まれるので
どんな状況にあろうと何も考えずに、今、生かされてる事に感謝することです。    

大神教 勝又 ふじ子
※2016年節分祭のぼたんより一部抜粋しました

ぼたん – 2016年元旦祭 (人は皆宇宙の神様からの借り物)

2016年01月10日

おめでとうございます。

今年は申年ですね。
申年は人の為 自分の為になる良き知能を発揮する年です。
ですが悪知恵を出した時は必ず自分に返って来ます。
天からの罪状として刈り取らなければなりません。

また 悪の心を持ちながら人様の前ではいい人になったり、嘘をつくのを毎回見せられています。
そのたびに 正直に生きるように叱るのです。

そして この神様は善悪を正すので奇蹟が起きたり、晴れてる日に虹が見えたり
神前からお神酒の蓋が カチャカチャと鳴ったり 榊が揺れたり 夢で予言を頂いたりと
神様と先祖様が見守って下さるのがよくわかります。

皆さんが今ある物は 全て天からの借り物です。
それらは正しく生きてきた結果手に入る物なのです。
最後は天に返さなくてはならないのです。

たとえ この世で成功しなくても 良い生き方をしてたなら経済的にも
こまらないはずです。
ですからこの世では あまり欲をかかずに、人の為自分の為に喜べる人生にした方が
幸せなのです。

神様が必要な方とは神様の心が分かる方。御先祖様の心が分かる方。人様の心が分かる方。
このような方々がこの上ない人生を送れるのです。  

勝又 ふじ子 
※2016年元旦祭のぼたんより一部抜粋しました

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